リアリストが追放地にて
The Realist in the Penal Colony 2025-4
H2000 × W1000 × D3200mm
mixed media
リアリストが追放地にて
The Realist in the Penal Colony 2025-4
H2000 × W1000 × D3200mm
mixed media
私は長らく、「現実」と「虚構」のあいだに存在する“リアリティの感覚”に関心を持ち続けてきました。
本作では、ある種の“異化された空間構造”を構想しています。そこでは、一見して論理的で正当とされる存在——たとえば装置や構造物——が疑われることなく、空間の一部として静かに維持されている。その中にいる人々は、その装置の論理を受け入れ、むしろその運作の一部として組み込まれているのです。そして、外部からやってきた観察者もまた、その秩序に対して疑問を投げかけることなく、静かに見守ることで、別のかたちでシステムに加担する存在となっていきます。
今回の展示では、文学における虚構と、美術における虚構とを意図的に重ね合わせました。観客はギャラリーという密閉された装置的な空間に足を踏み入れ、私は中央で装置を操作し、その構造や仕組みについて説明を加えます。観客は空間を移動しながら、それを視覚的・聴覚的に受け取っていきます。この一連の状況は、カフカの短編『流刑地にて』に登場する旅行者が、異国の刑罰装置を見学する場面と呼応しています。
観客は物理的にはその場に“在る”と同時に、構造内に“挿入された”存在でもあります。彼らの身体は現実の空間を移動しながらも、その認識は、虚構的なロジックによって編み上げられたシステムの中へと巻き込まれていくのです。
こうした“現実と虚構が交錯する構造”において、個人は常に自らの立ち位置を測り直さざるを得ません。
私は本作で、見た目には秩序立って機能しているように見える機械的システムを構築しました。それは通り抜けることも、作動させることも、観察することも可能な構造ですが、その動きや空間配置の中には、常に“どこかズレている”感覚が含まれています。
それは現実の装置であると同時に、概念上の思考モデルでもあります。ここでは、「合理性」はもはや「正しさ」を意味せず、むしろ秩序そのものが孕む冷淡さと、疑うことが許されない構造の暴力性を浮かび上がらせます。
こうした思考は、私のこれまでの制作にも通底しています。一方では「その場にいなければ体験できない」空間をつくりながらも、実際に探っているのは、「場所」や「現実」を超えて行動や判断を静かに支配する見えないロジックの方なのです。
この作品は、現実主義者が流されていく先にある、構造化された虚構の世界を描き出そうとする試みでもあります。
評 牛島達治
Photo by 中川達彦
Photo by 久家靖秀